自由と国家

近代立憲主義について書かれた本です。
日本での憲法や人権の現状についてヨーロッパでの立憲主義の成り立ちから考察している点でいくつか納得できるところがありました。

憲法のタブー批判

およそ批判の自由にタブーを設けないことこそ、日本国憲法非難をするひとびと自身がみとめなければならない、日本国憲法の長所なのである。それどころではない。大日本帝国は、憲法改正の問題についてだけでなく、それ自体が巨大なタブーの体系であり、日本国憲法は、そのようなタブーを否定するところにこそ、眼目があったはずである。

本当に「憲法をまもる」ことをしようとする側にとってこそ、タブー批判は重要である。「人類普遍」のものとされている日本国憲法の基本原理であっても、それを頭から自明の理としてしまうのでなく、たえず「なぜ」という疑いに答えてゆく手順を通してその価値をたしかめつづけてゆくことが、大切である。
改憲を主張するひとびとは、「憲法をタブーにするのはいけない」と説く脈絡のなかで、「憲法を不磨の大典でもあるかのように金科玉条の「不磨の大典」あつかいすべきではない、ということは正しい。しかし、だからといって、ひとつの国民がさまざまな国民的体験をくぐりぬけながら、それぞれに憲法上の確固とした原理をその社会の共通のコンセンサスにしてゆくことの意味までをも、軽んじてはならないはずである。

護憲派憲法改正自体をタブー視しているきらいがありますし、改憲派は国のあり方などを十分に議論せずに自分たちに便利な形で変えようとしているきらいがありますが、そうではなく社会共通のコンセンサスを得た上で必要に応じて変えていけばよいと思います。
特に9条の戦力の保持の否定ですが、ただ米英の体制に追従しやすいように変えていく以上の意味が見えないです。金融危機を発端にした米一極集中体制揺らいでいるなかで、国としてどういうスタンスをとるべきか十分に議論、検討すべきだと思います。

戦前の「家」の役割について

市民革命によって個人が解放されないままで、従って、個人の人権と国家の主権との密接な連関がないままに、にもかかわらず集権的国家ができあがってしまった。一八八九年体制下の日本では、何より重要な中間団体だった「家」が、国家権力に対する身分制自由の楯としての役目を果たすよりは、国家権力の支配を伝達する、いわば下請け機構としてはたらくこととなった。「孝たらんとするすれば忠ならず」ではなくて、文字どおり、「忠孝一本」となったのである。「家」の自律が徴兵忌避の若者にとっての精神的よりどころになる、というようりは、「そんなことをして家名に泥をぬるよりは、いさぎよく名誉の戦死をしてくれ」というのが日本の「家」であった。

法人の人権について

西欧近代法が、無意識的に自明のもののようにあつかわれてきた。一九世紀後半に日本に導入されたとき以来、この国では、一九世紀型近代法は、すでに確立したはずの自立的個人の存在を前提として、結社を容認する。しかし、一九世紀近代に先行した市民革命期の意味を問うという見地からするならば、典型的には、フランス革命で執拗に追求されたものが結社の自由=法人の人権ではなくて、結社の禁止=法人からの人権だったことに、いやおうなしに直面するはずであった。
市民革命期以後の、法人から人権をめぐる闘争がひとくぎりついたあと、段階をおって法人が実定法の承認をうけるようになってくる。しかしそれは、立法者がそのような選択をして法制度をつくることの禁止が解除された、ということなのであって、法人の人権主体性が積極的にみとめられたと考えなければならぬわけではない。
日本では、結社許容型の一九世紀近代法(結社許容型の個人主義)にすぐつづいて、団体への積極的評価を含む二〇世紀現代法の考え方が導入された。そのことによってなお一層、市民革命期の結社否認型個人主義のもっていたはずの意味が、はるかに後景におしやられていったのである。ワイマール憲法やレオン・デュギなどに見られるように、近代立憲主義の補完と発展という形で説かれた「個人主義」批判は、それが説かれた本場でより以上に、きわえて素直にうけ入れられた。(略)

法人の政治活動の自由や宗教法人の信教の自由に対して日本の法曹界は個人の人権と同等以上に扱っている印象を受けますが、その背景に対して筆者の人権獲得の経緯からアプローチした以下の考察は鋭いと思いました。