それでもボクはやってない

それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]

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正直見た後、爽快感はないですが、裁判の矛盾について考えてしまいました。日本の映画も見ます(レビュー数は少ない)が、ヒロインが死んで悲しいだけだったり内容が薄い話が多いので、感想を書くことはあまりないのですが、これは違いました。そんな作品が日本で年に1つや2つでいいので作ってほしいですね。


周防正行監督の"Shall We Dance"以来約10年ぶりの新作だったわけですが(正直もう少し作品出してもいいんじゃないのと思ったしたりしますが)、これぐらいのクオリティの作品ならば多少年月がかかっても問題ないです。駄作を量産されるよりかはよっぽどましです。


冤罪裁判で無罪判決を2度連続した出した裁判官が左遷された話が出てきます。というのは無罪は国家権力(検察、警察)に楯突くことだから、自分の利益には(出世の材料)ならないからだとか。むなしいです。
所詮裁判所も官僚組織なんですね。
最初は正義感とか持ってがんばっていたとしても、大変だし、家族がいたら出世を求められたりして、結局は国家に従順するようになるのでしょうか。


検察も都合がいい情報だけしか出さないし、不利な材料は弁護側が推測して請求も可能だが、「不見当」といって出さないこともできるのだから、とてもじゃないが公正とはおもえません。というか公正さは重要ではないということでしょう。
また警察調書も証言そのものじゃなくて、被告が不利なようにいくらか脚色していることもありえるわけです。(ただし、被告がよく見てしつこく訂正を求めれば修正も可能ですが、)修正されなければ立派な証拠になってしまうのは理不尽きわまりないです。


証拠がない場合は、当事者の記憶、証言が裁判官の判断材料になるわけですが、客観的な事実に基づいた記憶なんてありえないし、印象や感情によって記憶によって記憶というものは変わってしまう不確かなものです。
いくら裁判官が頭がいいといってもそんなもので有罪、無罪を決めてしまうというのはやるせないです。


特に否認に関しては否認を証明できる証拠がない限り無罪になりえないのだから、裁判自体が被害者や加害者のためではなく、国家権力に間違いがにないか証明するのが一番大事なのかと感じました(そのためにお金と時間を十分にかけて裁判を十数回も行うんでしょうね。)。
(たとえ被告が真犯人でなかったとしても)決定的な証拠がない限り、被告に勝ち目はないということみたいです。