- 作者: 徐京植
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2007/10/31
- メディア: 単行本
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著者である徐京植さんの新刊である本書をたまたま本屋で見つけたので購入しました。韓国の日刊紙「ハンギョレ新聞」に連載されていたコラム「深夜通信」をまとめたものです。
特に印象に残ったお話は以下です。
- アウシュビッツの生還者のジュリアーナ・テデスさん:左腕に入れ墨された囚人番号が他人に見えるように冬でも半袖を着ていること
- 19世紀ロシアの貴族革命家のゲルチェル:大金持ちでありながら、自らの特権を廃止するために命を賭けて戦ったこと
- 朝鮮人のB級戦犯の李鶴来氏:朝鮮の人たちから裏切り者と罵られ、戦後は犯罪者として裁かれ、日本国から補償されない彼らのような存在を見ると、戦争は本当によくないと思います。以下は本文からの抜粋です。
大日本帝国臣民として動員された彼らは、朝鮮人であるのに「日本人」として罪を問われ処罰された。死刑を免れた朝鮮人戦犯は、祖国ではなく日本の巣鴨刑務所に送られた。1952年のサンフランシスコ条約以後、日本政府は日本戦犯に対しては国家補償を与えてきたが、日本国籍を喪失した朝鮮人戦犯たちは「外国人」であるとして補償の対象外に置かれ続かれている。植民地臣民を思いのままに戦争に利用し、捕虜監視というもっとも汚れた仕事を押し付け、戦後派下依然として切り捨てる日本という国家。李鶴来さんは過去半世紀もの間、こうした日本という国家の欺瞞性を告発し、戦い続けてきた人物である。
その他に考えされられたことをまとめます。
- ディアスポラ、マイノリティに対する視点について
そのとおり、他社の苦痛や過去の苦難に対する想像力をもつことは難しい。自分にはその想像力がある、と簡単に言ってしまうことは不誠実であり、偽善ですらある。だが、私たちはせめて、"想像力が及ばない"ということの恐ろしさを自覚しなければならない。それを放棄した瞬間に、シニシズムが凱歌をあげ、惨劇が反復される。
- 慈善活動や善行について
一人のホームレスに優しくしたところで、無慈悲な競争社会の矛盾を克服しなければならないと考えてきた。それなのに、いまも私はきわめて無力だ。慈善や善行などは、そうした罪深い無力さから目をそむけるための偽善に過ぎないと感じるのである。
だが、一方では、このようにも思う。妻が加藤さんという人物と親しくなってくれたおかげで、私にとってホームレスという存在は抽象的な概念から具体的な人物へと変化した。加藤さんという具体的な存在が、ともすれば閉じようとする私の目を開いてくれる。