工作少年の日々

工作少年の日々 (集英社文庫 も 24-2)

工作少年の日々 (集英社文庫 も 24-2)


筆者の模型工作に関するエッセイです。工作好きには特におすすめ。
ちらほら出てくる筆者の考えの中で共感、納得したものをピックアップ。

  • 好きなことと仕事

僕は、たとえそれほど好きではないことであっても僕の得意なことをして、お金を稼ぐ。そうして、僕よりも得意な誰かが作ってくれた僕がほしいものを買う。それを作った人は、それを作ることがそれほど好きではないかもしれないけれど、それで賃金を得て、自分の好きなものを買うだろう。人間の社会は、このように得意なものと好きなものを、経済という装置で交換できるのだ。上手く考えたものである。

『好きなこと=仕事』ではない大学教授もいるんだなと妙な親近感を感じました。こんなふうに割り切れるのもありだなと勇気づけられたような。とはいっても、何かしら他人に誇れる技術、ものを身につけたいなと思っている今日この頃です。

  • 忙しさについて

この「忙しい」という状態は、とにかく格好が悪い。自慢できる「形」ではない。よく自分を忙しそうに見せかける人間がいるが、あれはなにか勘違いしているのだろう。
外見はできるだけ「暇」そうに見せたいものだ、と常日頃からがけているのだ。
忙しさというのは、結局のところ、「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から自分を防御するための偽装にすぎないのでは、という気がしてならない。

忙しさに関する考えは一致しています。『仕事はできるけど、余裕がある(ように見える)』状態が理想ですが、実際は一杯一杯です。

  • 時間の使い方について

そういった複雑系が当たり前の状況下にあって、時間を有効に使うためには、いかに素早く自分を切り替えるか、という点が焦点となるだろう。ある作業から途中で離脱するとき、それを人に説明して続きを任せたり、あるいは将来戻ってくる自分のためになんらかのマニュアルを残したり、といったテクニックも必要になる。
時間があっても、コンテンツ、すなわち発想がなければ、価値のあるものを創り出すことはできないし、その発想は、時間に比例して生まれてくるものだとは、到底考えられない。どうしてかというと、暇でぼうっとしているときや、時間を忘れて遊んでいるときに、とても重要な思いつきをした経験が一度もないからだ。時間がもうない、でもなんとかしなければならない、というぎりぎりの状況下で考えに考えた末、生まれてくる発想があって、そうした凝縮された短い時間にのみ発揮できるパワーに依存している。
どういうわけか、ちょっとした隙を目敏く発見して、人間はすぐに怠けようとする。そういった。「時間」に対する貪欲さには、呆れるばかりである。

「時間がない」と言いふらしている人間は私も好きじゃないです。ですけど、時間があっても上手く使えない自分にもっともどかしくなります。

「世界構築性」こそが、ほかの乗り物には滅多にない、鉄道に固有の特徴であり、これに惹かれる人たちが、この趣味にはまっているのだと思われる。
この模型が創り出す「世界」は、それを作っている瞬間に最も感じられるものだ、ということである。出来上がってしまうと、そこには、その世界の思い出が残るだけで、既に残像といっても良い。

後半の話は鉄道模型だけでなく、音楽とか他の芸術にもいえるような気がします。