憲法と平和を問いなおす

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)


本書は憲法9条に関する具体的な提言やケーススタディに対する考察がまとめられたものではありません。国家理論の根幹に関わる疑問「なぜ国家が存在するのか、なぜ民主主義なのか」から始まって立憲主義という視点から戦争や平和について考察しよう、という本です。以下は個人的なポイント。

  • 人道的介入の危険性

「人道」という美名は、善悪の対立と関連づけられやすい。国内の政治において、善悪の対立が持ち込まれることがきわめて危険であったように、国際関係に善悪の対立が持ち込まれることにも危険がともなう。「善い国家」と「邪悪な国家」が対立するという図式は、たとえ戦争法規を無視してでも、また、民間人の犠牲を払ってでも、「邪悪な国家」をとりのぞくべきだとのぎろんに合流しがちである。

  • ルソーの戦争(状態)と国家に関する考察まとめ

それぞれの立場を離れて客観的に眺めれば、そこで展開されているのは、各人が自己保存を目指して可能なあらゆる行動をとる自然権を行使するという無秩序状態である。人間の本性が悪だからではなく、善悪をそれぞれの人間が独自に判断しようとすることが、万人の万人に対する闘争を招く。

すべての価値判断がそうであるように、主権者の判断も一つの主観的判断にすぎない。それにもかかわらず、彼の判断を社会の共通の判断としてすべての人々が受け入れたとき、はじめて共通の法が生まれ、社会生活のルールが確定し、各自に保証される財産とは何かが決まる。かくして、主権者の権威のした、国内の平和が実現し、人々は生活の安全と文明的な暮らしを保証されることになる。

自然状態の困難を解決し、国内の平和を確立することを目的として設立された国家は、当初の目的に反してかえってはるかに大規模な争乱に人々を巻き込むことになったというのがルソーの診断である。

祖国への愛と義務を説くルソーの背後には、国家はそもそも一定の目的のために構成された法人にすぎないという突き放した見方をするもう一人のルソーがいたと考えるべきであろう。当初の目的の達成にとって法人の存在自体が障害となるとき、法人はその存在意義を失う。いざとなれば社会契約を破棄し、国家を消滅させることで人命と財産の保全を優先すべきであるとのルソーの提言は、それとして筋の通ったもののように思われる。こうしたルソーの考え方からすれば、「国家の自衛権」なる観念がいかに不条理なものであるか理解できる。

  • 政府を必要とする人々

われわれが政府を必要とするのは、自然状態が囚人のディレンマ状況だからではなく、実際にはそれが囚人のディレンマ状況であるにもかかわらず、それをチキン・ゲームとみなす人々がいるからである。政府は、裏切り行為を黙って見過ごす「チキン」になりがちな人々を強制して、協働して裏切り行為に対処させるためにこそ、必要だということになる。

リベラルな立憲主義にもとづく国家は、市民に生きる意味を与えない。それは、「善き徳にかぬ生」がいかなるものかを教えない。われわれ一人ひとりが、自分の生の意味を自ら見出すものと想定させている。(略)以上の議論が正しいとすれば、立憲主義国家にとって最大限可能な軍備の整備は、せいぜい傭兵と志願兵に頼ることになる。
戦闘員と非戦闘員との区別を限りなく不明瞭にする「際限なき地獄」の典型であるパルチザン戦争を想定するこの立場は、実力による防衛を完全に否定する絶対平和主義の前提となる戦争観およびそこから導かれる理念と正面から衝突する疑いがある。