李陵・三月記

李陵・山月記 弟子・名人伝 (角川文庫)

李陵・山月記 弟子・名人伝 (角川文庫)


中国の古典をモチーフにした短編集です。漢字が多いので取っ付きにくそうかなと思っていました。しかし、歯ごたえはある文章ですが、リズミカルで文体で思いのほか読みやすかったです。『李陵』に関しては中国古代史の知識があると理解が深まると思います。
どのお話の主人公も何かしら欠点なり弱さはあるのですが、それを美化したり否定せずに丁寧に描かれています。
例えば、刑罰を受けた史書作成に全てを捧げた司馬遷は華やかではないですが、泥臭く一つのことに一心不乱に取り組む様が表現されていて凄いと思いました。

歓びも昂奮もない・だた仕事の完成への意志だけに鞭打たれて、傷ついた脚を引摺りながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと稿を継いでいく。

一番印象的だったのは西遊記の沙悟浄が三蔵法師に出会う前に「世界とは?自分とは?」ということを悩んでいた様子を描いた『悟浄出世』です。最後悟浄がふっきれるのですが、何かを始めるにあたり、悩んでばかりで躊躇してしまう自分の姿が重なりました。

『お互いに解ってるふりをしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利かない困りものだろう。まったく。
嶮しい途を選んで苦しみ抜いた挙句に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間ん、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、不精で愚かで卑しい俺の気持だったのだ。

躊躇する前に試みよう。