こんな日本でよかったね ー構造主義的日本論

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)


内田樹氏のブログから社会や国家と言ったトピックを選んで編纂された本です。
なるほどと思う主張が随所にあり、面白かったです。

  • 格差社会について

「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会の社会のことではないのか。
「階層社会の下位に釘付けにされている人々は『階層上位に上昇する方法』は自分たちには構造的に与えられない、という説明を鵜呑みにすることによって階層社会下位におのれ自身を釘付けにしている」という解釈の方が吟味に値するのではないか。
だが、被害者の立場からの出来事の記述は、そうでない人間の記述よりも正確であり、被害者の立場から提示されるソリューションは、そうでない人間が提示するソリューションより合理的であるという判断には論理的には根拠がない。

  • 就職情報産業について

就職情報産業は、若者たちが最初のマッチングで「適職」に遭遇することよりも、いくら転職を繰り返しても「適職」に出会えないことから利益を上げるようにビジネスモデルを構築している。
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでもけっこう幸福に生きることができる。

就職情報産業に関する指摘は鋭いなと思いました。
わたしは就職してから何十年も経った訳でもないですが、今まで自分の大学進路や就職の選択をふりかえった場合、適職だなと思ったことはほとんどなくて、最初もがきながらも何とかついていくことができた場合が多かったです。確固たる自分の理想があって、それに向かって仕事が見つけられる人は別ですが、もがきながら働いて、その中で自分の仕事観を築くのも決して悪くはないかなと思う今日この頃です。

  • システムについて

法理と現実のあいだの乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその「生身」を供物として差し出す場合だけである。

システムには例外というものが少なからず存在する訳ですが、それを責任のある人物が担保しなければその例外が一人歩きし、大きな損失を生み出すという話です。

ミスはある人の「責任範囲」と別の人の「責任範囲」の中間に拡がるあの広大な「グレーソーン」において発生するものだからである。
成果主義は、この「成果にはカウントされないが、システムの崩壊をあらかじめ救ったふるまい」をゼロ査定する。
「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。

企業活動の中には成功とはいえないものも少なからずあると思います。失敗についてはだれかが回収すべきものだから、それにより当初の計画が遅れて目標を達成できなかったとしても、長期的に考えれば会社の損失を抑えたことになるのだから、そういうものも評価できるようになると本当の意味で成果主義といえるのではないと思います。

  • グローバル経済

グローバル資本主義とは、労働者が規格化・標準化されて、地球上どこでも同質の労働力が確保されることと、消費者が規格化・標準化されて、同一の商品にすべての消費者が抱くことを理想とするシステムだからである。
労働条件が劣化し、消費欲望だけが亢進し、性差の社会的価値が切り下げられた社会に投じられれば、遠からず労働者たちは結婚も出産もしなくなるだろう。

グローバル化によって、例えば製造業では中国や東南アジアの製品のクオリティが上がり、低価格でもそれなりの品質の製品が市場に出回るようになりつつあると思います。またシステムも中国やインドの委託が進んでいます。それにより企業は少ない投資で今までと同じ利益を得ることができ、消費者も低価格のサービスを短期的に受けることができていると思います。しかし、それらが日本で創られたものでなければ日本の労働者に報酬が入ってこないので、中期的に見ると日本の労働者の利益は減ることになり、労働単価の大きな日本の労働力の必要性が減ってしまいます。
労働単価の大きな日本人が新たな製品、サービスの開発が難しい中で(価値観が単一化する)グローバル化で生き残るためには一人一人の努力だけでは(勿論ひとりひとり努力すべきですが、)いかんともしがたい段階になりつつあるのかなと感じています。

  • 未来の未知性について

願望達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数である。つまり、自分の将来の「こうなったらいいな状態」について「どれだけ多くの可能性」を列挙できたか、その数に比例する。それは「未来を切り開く」という表現からはきわめて遠い態度である。

  • 顧客のニーズ

ニーズは「ニーズを満たす制度」が出現した後に、事後的にあたかもずっと以前からそこに存在していたかのように仮象する。
どれほど本人にとってリアルであっても、それを指し示す言語記号や、それを満たす社会的装置が存在しないような欠如は「欠如」として認知されない。
ニーズはそれを満たす商品やサービスを提供するサプライヤーの側が創り出すものである。

今の日本はサービス業の比率がかなり高いと思いますが(定量的には把握してませんけど)、サービス業というのは本質的生物的に生きていく上で必須ではなく、あると便利なものであることが多いと思います。そういう仕事で持続的に利益を得るためには客にこのサービスが不可欠であるかを訴える必要であるという意見には納得します。消費者はニーズという言葉に惑わされて本当に必要なものを見失わないように気をつける必要があると思いました。資本主義では金のまわりをよくするためには消費者に絶えず新しいサービスを提供することが必要ですからね。

  • 愛国について

ほとんどの「愛国者」の方々の発現の大部分は「同国人に対するいわれなき身びいき」ではなく、「同国人でありながら、彼または彼女と思想信教イデオロギーを共有しない人間に対する罵倒」によって構成されているからである。
歴史が教えるように、愛国心がもっとも高揚する時期は「非国民」に対する不寛容が絶頂に達する時期と重なる。

たしかに自分が住んでいる国を心から愛している人よりかは、なんとなくいいと思ったり、別に嫌いという訳でもない、という人が多いと思います。という点で普段何の問題もなく過ごしている限りでは愛国心について考えることはないと思っているので、筆者の考えに同意します。