インドで考えたこと

インドで考えたこと (岩波新書)

インドで考えたこと (岩波新書)


著者がインドが独立して間に旅行したときに書かれたエッセーです。今もこの本に書かれた状況と全く同じだと思いませんが、ただ食事事情やインド人の議論好きなどについては実際にインドに行った人の話と同じだったので、インドに興味があったり、旅行したいと考えている方は一読してみて損はないと思います。もちろんそうでない人もアジアの中の日本の役割や宗教などの筆者の考察は読んでおもしろいと思います。インドの人は食が細い(けど体格はしっかりしている)方が多い印象をもっていたのですけど、本書に書かれてある食事事情を読むと仕方のないことかなと思いました。

本書で一番印象に残ったのが筆者が『日露戦争に勝ってアジア諸国を鼓舞した日本がアジアの的である帝国主義(イギリス、アメリカ)と同盟を結んだのに失望した』という老人とのやり取りでした。簡単に答えられる問いではありませんが、筆者が以下のように答えていました。

「われわれの国が、アジアの眼から見た場合、つねにそういう二重性を帯びていたことを、われわれも承知している。それはかなり長い時間にわたった。しかし、現在、この歴史的な習性ともなっているこの二重性からぬけ出さなければならぬと気付き、そのために努力をしている人がたくさんいるということを、私はあなに告げたい。」

政府、企業ともに米英の金融資本主義に追随し、インドの安い労働力を求めて工場や下請けを委託している現状から、今の日本が筆者が答えた方向に進んでいるとは思えないので、筆者の考えに耳を傾けてもいいのではないのかなと思いました。


言語事情とインド企業の経営法について初めて知ることがありました。
前者についてですが、インドの公用語が17個あるのは知っていたのですが、日本語の方言程度とまではいいませんが、中国語の広東語とか北京語ぐらいの違いだと思っていたのですが、実はそうではなく『例えばラテン語とギリシア語のように発生のもとになる母語の語脈から既に違っている』とのことらしく、それで1つの国にまとめるのは相当大変だなと思いました。

後者については『経営代行制』という植民地時代の名残のような制度が戦後も続いていたことが…。長くなりますが引用します。

『イギリスの経営代行制は名目的にインド人の所有する企業の大きな部分を自己の傘下に引き入れている。形式的にはインドのものであるが、外国資本の手にその管理権をにぎられている合弁会社あるいは合資会社の制度を通してイギリスおよびアメリカの独占資本はインドの独占資本を下位に立つ協力者として従属させている。』
『産業の運転資本は、主として経営代理会社によって、あるいはまた彼らを通じてイギリス系金融機関から融通される。(略)これらの代理会社は、イギリスの産業資本、金融資本と緊密に結びつき、イギリス系代理会社と連携して、仕入・生産および販売の各段階で多額の手数料を取る大買弁階級であり、生産力の拡充と改良や労働者の生活向上に充てられるべき利潤は、代理会社の手を通じてイギリスへ流出する。』(横井雄一氏著『紡績』より)
このマネージング・エイジェンシイなる買弁階級は、インド人所有の企業、工場が損していても、自分だけはいつでも儲かるという仕掛けになっているというのだから、まったく大した仕掛けである。こういう連中が、ボンベイのマリン・ドライヴの壮麗な住宅街に住んでいるのだ。しかし、この反面、インドのルビー貨とポンドとの連繋がたたれたらどううことになるか。インド経済は崩壊してしまうだろう。この苦しさを処理する方法如何にこの国の政治の運命があろうと思われる。