フラット化する世界(上)

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)


中国やインドのアウトソーシングが進んでいる現状やそれを押し進めた要因をまとめた1部は特に目新しい話はありませんでした。
しかし、IT産業や生産現場だけでなく、会計などの分野でもインドのアウトソーシングが進んでいることにはびっくりしました。この状況に対してアメリカの公認会計士が語った言葉が印象的でした。もちろん今後は研究開発の拠点になって、欧米の研究者がインドに転勤する事態が普通になるかもしれません。

会計士という職業は現在、変容しつつある。過去にとらわれて変化に抵抗する会計士は、コモディティ化の深みにはまってしまう。リーダーシップ、顧客との関係、独創力によって価値を生み出す会計士は、顧客との関係を強化できるだけでなく、業界をも変革するだろう。

ネットスケープが登場した頃などの話は読んでいてワクワクしました。アメリカのビジネス書を読んで思うのですが、新しい技術が作りだされた熱気が凄くエキサンティグに伝わるので、がんばらなきゃなと思います。


インドや中国は教育に力をいれていることを再認識しました。

国債教育研究によれば、2004年から2005年にかけてアメリカの大学に留学したインド人の数は、どこの国よりも多いという。インド人留学生は8万466人、次いで中国人留学生が6万2523人、韓国人留学生が5万3358人であると同報告書は伝えている。

中国やインドのように外国(アメリカに限らず)の大学に入学できるような日本人をいかに育てるのか、ということが大事なのかなと思いました。日本の教育界では詰め込みか、ゆとりかいう議論がされていたと思いますが、それは違うような気がしますし、教育の方針がどうであれ日本の学生の目標は「如何にいい大学に入るか」だったと思います。それを実現するには詰め込み教育があればなんとかなったわけですが、それではこれからグローバル化が進む中でトップに立つような人材を育成するんが大変なのかなと思います。ただ詰め込みでもなく、ゆとりでもなく国際社会で活躍できるような人材を育成する教育のありかたも考えるべきなのかなと思いました。


一番大きな変化は各企業が競合他者よりも低コストを実現するために「グローバルな最適化」が進み、ホワイトカラーの優位性がなくなるのではないかと思っています。特にこの不況でこの変化を止めることができなくなるのではないかと思っています。

フラットな世界の最も顕著な特徴の一つは、たくさんの仕事が代替可能になったことだ。ブルーカラーの工場労働だけではなく、ホワイトカラーのサービス業もそうなった。サービス業の労働者はこれまでになく増えているから、影響を受ける人間も多い。

われわれがやらなければならない数多くの事柄のうちで、最も重要だと私が思うのは、アウトソーシング、オートメーション、テクノロジーの変化による賃下げ圧力にも抵抗てきるような新ミドルクラスの仕事を見つけ出し、それに必要な特定のスキルや教育を明確に突き止めることだーそれによって、弱者も特典を享受できるようになる可能性がある。アメリカでは、新ミドルクラスの仕事は絶えず誕生している。世界のフラット化にもかかわらず大規模な失業が発生しないのは、そのおかげだ。しかし、そうした新ミドルクラスの仕事を得て、それをしっかりと維持するには、フラット化した世界に見合ったスキルー(たとえ一時的にでも)かけががえのない存在になり、特化し、地元に密着し、それによって(たとえ一時的にでも)無敵の民になり、上昇する賃金が得られるようなスキルーを身につけなければならない。


ホワイトカラー労働者が今後も今の収入を維持するためには絶えずスキル、付加価値を身につけ続けなければならないと筆者は説いていますが、そうだと思いました。そのあり方の一つとして、著者は『なんでも屋(バーサタイリスト)』を挙げていました。

なんでも屋は、持ち場や経験の範囲が徐々にひろがるのに合わせて技術力を応用し、新たな能力を身につけ、人間関係を築き、まったく新しい役割を担う。なんでも屋は、たえず適応するだけでなく、学び、そしえ成長する。


われわれがグローバル化社会を受け入れるか否かというは本書の後半にあった以下の問題提示に集約されていると思います。

たしかに、消費者であるわれわれは、あらゆる脂肪を取り去ったウォルマート価格を求める。だが、労働者であるわれわれは、コストコのように骨にいくらかの脂肪が残っていることを求める。そうすることで、従業員の半分以下しか医療保険に加入していないウォルマートとは違って、ほぼ全従業員を医療保険に加入させることができるからだ。だが、株主であるわれわれは、コストコではなくウォルマートの利益率を求める。その反面、国民であるわれわれは、ウォルマートではなく、コストコの福利厚生を求める。足りない分はどのみち税金でまかなわれるからだ。

たしかに発展途上国のホワイトカラー労働者の賃金は停滞している。だが、そうした労働者は、グローバル化によって賃金上昇を抑制されていても、グローバル化のおかげで価格が下がっている品物を、その給料でより多く買うことができる。(略)グローバル化のおかげで薄型テレビ、携帯電話、コンピュータ、靴、衣服、車を、より安く買うことができる。賃金だけはなく物価も、グローバル化の影響を受けている。
要するに、グローバルな融合をわれわれが推進できるかどうかは、すべてのレベルの労働者が、グローバル化と自由貿易は、全体として自分たちの生活にマイナスではなくプラスの効果があると感じるかどうかに左右される。(略)アメリカの庶民は、これまでの歴史を見ても、金持ちに恨みを抱くことはなかった。ただしそれには、庶民にも金持ちになったり生活を向上させたりする機会があたえられている限り、という条件がつく。


利益率の高いウォルマートで従業員の半分も医療保険に加入していないというのはひどい話だと思います。アメリカは国家の保障も軽いのにも関わらず、企業の福利厚生が薄いようでは将来が不安でならないと思います。日本の企業も福利厚生が今後カットするでしょうし、医療保険の負担が増えるなど国家の保障を薄くなりつつあります。企業がウォルマートのような筋肉質の国際企業と対等と戦うことを考えれば今後福利厚生は昔ほど手厚くなるとは考えられません。そのような状況で国家の保障が薄くなれば、たいていの国民は将来が不安になるものではないでしょうか。老後の年金、医療保険が不安な状態では思い切った消費はされないのではないかと思います。

内需、すなわち国内の消費を換気するためには北欧並みの高負担高福祉社会という選択もありかなと思います。中途半端に手取りの現金があって、将来の不安におびえるよりはましだと思うからです。