物理学に生きて―巨人たちが語る思索のあゆみ (ちくま学芸文庫)
- 作者: W.ハイゼンベルク,E.M.リフシッツ,P.A.M.ディラック,E.P.ウィグナー,H.A.ベーテ,O.クライン,W. Heisenberg,青木薫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/01/09
- メディア: 文庫
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1968年夏にトリエステの国際理論物理学センタで行われた著名な物理学者たちの講演集です。
大学で物理を学んだ人なら聞いたことのある、ベーテ、ディラック、ハイゼンベルク、ウイグナーなどが研究してきたことの中で印象に残った仕事などについて語っています。
量子力学を学んだ人には、教科書の中の人間が生の声で語っているのでイメージが沸くと思いますが、物理を知らない人にはちんかんぷんすぎて話についていけないと思います(そういう私も全てを理解しているわけではないですが)。
一番ハイゼンベルクのお話が含蓄に富んでいて、面白かったです。印象に残ったお話をいくつか紹介します。
- 量子力学という新しい概念に対する以下のボーアの姿勢はすごいと思いました。
私たちは今、物理学の新しい領域にいますが、そこでは古い概念は使えそうにないことがわかっています。さもなければ原子は安定ではいられないからです。しかしその一方で、原子を語るためには言葉が必要ですが、その言葉は古い概念から、古い用語体系から借りてくるしかありません。そのため私たちは絶望的なジレンマに陥っており、ちょうど遠い国を訪れた船乗りのようなものです。船乗りたちはその国のことを知らず、人々の使う言葉はきいたこともなく、どうやって意思疎通を図ったものかわかりません。そんなわけですから、古典的な概念が使える限りにおいては、つまり電子の運動の速度やエネルギーなどについて語りうる限りにおいては、私の描像は正しいと思いますし、少なくとも正しいとあってほしいと私は願っています。しかし、そんな言葉がどこまで通用するかは誰にもわからないのです。
- 理論と観測の関係について述べた以下のアインシュタインの意見は逆説的で示唆に富んでいます。
何が観測できるかは、どんな理論を使うかによる。何が観測できるかを決めているのは理論なのだ。
他には新しい量子力学という学問を築く中で、いかに古い概念を捨てることが困難であるかを繰り返しのべていました。これは量子力学に限った話でなく、理工系の人間なら心にとどめておくべきことだと思います。