憲法とは何か

憲法とは何か (岩波新書)

憲法とは何か (岩波新書)


本書は憲法学者長谷部恭男氏によって書かれた憲法についての本です。
憲法は政治体の国家の背後にある裸の国土や人々の人々の生活のためのものではなく、政治体としての国家のためのものであると説いています。日本国憲法の基本秩序はリベラル・デモクラシ(立憲主義*1と平和主義です。


憲法の基本秩序であるリベラル・デモクラシに関する原理的な考察から始まり、憲法改正問題へと話が進んでいきます。憲法改正に対する筆者の意見には同意できます。憲法改正の動きを見ても、どういう国づくりをしていきたいのかをじっくり考えようというよりかは、とにかく憲法を変えるのが大事だ、というふうに見えてしまいます。それは改憲派だけでの問題ではなく、護憲派にも問題があると思っています。相手の意見を拒絶して議論しないのではなく、お互いの意見を意見をぶつけてどういう政治体にしたいのか議論すべきです。

日本がいかなる目標を持つ、どのような憲法原理に立つ国家と福祉国家となろうとしているのかを決定する必要がある。
国民の生命と財産の安全の確保という国家としての最低限の任務をはたすために、日本は外交、防衛の面で何をし、何をすべきでないのかを改めて確認する必要がある。
こうした課題について国民の合意を練り上げる作業は、憲法典の改正よりはるかに重要なその前提作業である一方、この作業の結論に比較するならば、憲法典の改正自体は、二次的な意義しか持たないであろう。というのも、成熟した民主国家にとって、憲法典の改正を通じてしかなしえない事柄は、さほど多くはないからである。
例えば日本で憲法に新しい人権として組み込むことが提案されている環境権プライバシー権は、その実質的保障のためには、具体的法令の整備や判例法理の展開が必要であるし、しかもそれで十分であり、憲法の条項にそれを付加することには、象徴的な意義しか認められない。


また、筆者の九条に対する意見はなるほどだと思います。日本には海外からの移民がそんなに多くないので、筆者のいうところのリベラル・デモクラシが実現できているのかわかりませんが…。

日本がリベラル・デモクラシの用語に貢献できるとすれば、平和主義の下で培われた日本への信頼を裏切って戦争による民主主義の輸出に加担することでも、市場万能主義の名の下に弱者切り捨ての経済政策を追求することでもなく、むしろ、現実のヨーロッパ社会のあり方を超えて、多様な価値観や文化を擁護する公平で寛容な社会のモデルを創造することによってはなかろうか。「国を守る」ために、現行の九条の下での実力の行使に対する歯止めを今、捨て去る理由はなさそうである。


丸山眞男の日本型ファシズムに対する考察は戦時だけに当てはまることではないかなと思いました。組織に従属している人間にいえることかなと思ったり。

丸山眞男は、日本型ファシズムの特徴が、公私の区別を知らない点にあるとする。人の生活領域のすべては、究極の価値の体現者であるはずの天皇との近接関係によって評価され、この評価の物差しは国境を越えて他民族に押し及ぼされる。そして、日本人にとって真善美の中心にあるはずの天皇でさえ、皇祖皇宗ヘと続く「伝統」への従属から自由ではない。自らの良心に照らして自由に判断し、活動しうる領域は誰一人として持ち合わせておらず、同時に、誰もが上位者への服従と奉仕を名目として、いかなる行動をも正当化しうる社会がこうして現れる。

*1:この世には、人の生き方や世界の意味について、根本的に異なる価値観を抱いている人々がいることを認め、そして、それにもかかわらず、社会生活の便宜とコストを公平に分かち合う基本的な枠組みを構築することで、個人の自由な生き方と、社会全体の利益に向けた理性的な審議と決定のプロセスとを実現することを目指す立場