オシムの言葉

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える (集英社文庫)

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える (集英社文庫)


今更なんですが、文庫版が出版されたので買いました。
実は千葉の時代から大好きで、日本代表の監督うっかり発表のときはかなり喜んだものです。

この本は彼の語録というよりかは選手時代から日本代表監督までのエピソードがまとめられた内容になっています。所々に出てくるオシムさんのウィットとエスプリの効いた言葉の数々がいいアクセントになってます。
(これは彼がユーゴ監督という過酷なポジションで身につけた処世術なのかなと思いました。スポーツ関係者でマスコミが世の中を危険な方向に導くうると警戒している人は本当に珍しいと思います。)


監督時代の試合の描写が臨場感があふれていて、読んでいていてわくわくしました。
特に市原監督時代1年目の磐田戦、イタリアWCのアルゼンチン戦は本当に凄い試合だったなと文章から伝わってきました。
指導者としてもすばらしく、決して優しくはないですが、懲罰を課すのではなく、何が悪いのか選手に考えさせるというのはなるほどです。またサブの選手も含めて練習内容をしっかりチェックしているのは流石だと思いました。
選手時代のエピソードは始めて聞きましたが、ドリブラーだったのは意外でした(理由を見れば納得します)が、何よりもイエローカードを一枚も提示されなかったのはすごすぎます。


しかし、一番印象に残ったのはユーゴ内戦の悲惨さとそれに屈しなかったオシムさんの凄さです。
内戦はわたしが小学生のときに起こってとにかくセルビアが悪者として放送され、それを鵜呑みにして、それ以上のことは考えていませんでした。
しかしこの本を読んで、オシムさんの話やユーゴ代表のエピソードを聞いてその酷さを他人事ではありますが、無視しちゃいけないなと考え直されました。ホームの試合なのにサポータから野次られて苦しめられるなんてありえません。ましてや代表に招集されると自分の村に爆弾が落とされるなんてとんでもありません。
そんな過酷な状況でも『そんなものに耐えられないならば代表監督にならぬほうがよい』と内戦の直前まで代表監督を勤め上げたのは立派だと思います。
以下の言葉を読むと罪のない人に罪悪感を植えつけてしまう戦争の理不尽さに呆れるばかりです。

オシムは内戦時にサラエボにいなかったことを、強烈な負い目として感じている。「一生かかっても消えない自分にとってのハンディキャップだ」とまで言い切る。


だからこそ(決して彼に認められなかった人も含めて)多くの人が彼を支持していると思います。

  • コバチェビッチの言葉)「しかし、私の知る限り、当時のクラブチームの監督で彼を批判した者は誰ひとりとしていなかった。これも事実だ。」
  • ジェフにおいても、使われなかった選手たちが多少の不満を漏らしつつも、「自分には合わないが、でもいい監督であることは間違いない」と口を揃える。

次のインタビュのやりとりの中のオシムさんの言葉は本当に重たいです。

「−監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な他文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか『確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが…。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう』オシムが静かな口調で否定する。『そういうものから学べたとするのなら、それが必要になってします。そういう戦争が…』」

サッカー好きはもちろんはスポーツが好きな人ならオススメです。