反貧困

貧困問題に取り組んでいる湯浅氏の著書。著者の貧困問題に対する熱い思いが伝わってきました。貧困が思った以上に深刻で読中は暗い気持ちにもなりましたが、誰にでも遭遇する可能性があることだから目を背けてはいけないなと思いました。

反貧困に対する対策は提言の形で練り上げられているわけではなく、筆者の1つ1つの取り組みとその過程、結果が書かれていました。問題に対する対策というのは上から与えつけるのではなく、現場で問題に対する対策を提示し実行することが重要だと感じました。

ひとたび貧困問題として社会的に共有されれば、待ったなしで政策的対応を呼び出すという事実だった。この問題では、政策的に対応されるまでの一連のプロセス(個々の相談・対応 → 報道による社会化 → 国会質疑 → 省庁による調査 → 対策)が矢継ぎ早に踏まれていった。


以下は本書で個人的に印象に残ったデータや著者の見解を引用したもんです。

貧困に関するデータ

日本の労働分配率*1は、1998年をピークに2001年以降減り続けている(農林中金総合研究所によれば、1998年10〜12月期の70.9%から、2006年7〜9月期に61.7%まで下落している)。

戦後最長の景気上昇期間を経験していながら、従来であれば好況期には減少していくはずの生活保護受給者が増大していく、という異常事態に立ち至っている。

貧困と犯罪の相関関係

「刑務所が不足している」という言い方は、人々の不安を駆り立てる。しかし、治安悪化が「神話」であることは、すでに指摘されている。現実に進行しているのが「塀の外では食べていけない」ことによる、貧困を原因とする犯罪だとすれば、刑務所新設よりも効果的な治安維持策があるはずだ。

真剣に考えなければならないのは、「悪いことをしたから罰する」という短絡的な応報主義・厳罰主義ではなく、「被害をなくすために本当に必要なことは何か」ということのはずだ。

公的扶助のセーフティーネットのほころびについて

公的福祉からの排除—その人が本当に生きていけるかどうかに関係なく、追い返す技法ばかりが洗練されてしまっている生活保護行政の現状がある。

多くの場合に対象者が高齢者や障害者手帳を有する者などに限定されている上、「区内に住民票を設定してから2年を経過している者」という住民票要件が課されているために、使い勝手が悪い。また、多くの自治体がサービス発足時に小さく広報誌に載せる程度で、利用呼びかけをほとんど行っておらず、制度そのものが知られていない。(略)その結果、2006年度の累積利用件数が、東京都と23区すべての入居支援制度の利用者を合わせても、大半がボランティアで運営されている一民間団体である<もやい>の実績に及ばない、という冗談の事態が続いている。
(略)実際には住所不定状態にあって、連帯保証人が見つからないためにいつまでもアパート入居が果たせないという「真に必要な人たち」ほど、制度から排除されるという転倒した状態になっている。

たとえ企業に対する奨励金をいくら用意しようと、実際にそれを利用する人たちの諸条件を整備しなければ、利用する人はでてこない。(略)結果として、さまざまなサポートセンターを設置するお金、職員配置のお金ばかり消費されていく。

筆者は窓口の水際作戦を批判していますが、かなり共感できました。(スケールの小さい話ですが)わたしも学生の頃学費免除を申請したことがあり、そこで窓口の人は対応しないとまではいきませんでしたが、書類が揃わないと門前払いでしたし、『不正請求じゃないのか』という強い疑いの目を感じたので、生活保護を申請する人はさらに辛いのではないかと思います。

貧困とは

なぜなら貧困とは、選択肢が奪われていき、自由な選択ができなくなる状態だからだ。

貧困を所得だけで定義するのであれば、所得からどのような機能を実現できるかという潜在能力を抜きにして、所得だけで見るのでは不十分である。貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。

潜在能力の欠如は、世界におけるもっとも裕福な国々においても驚くほど広く見られる。

貧困とは、このようなもろもろの(金銭、人間関係、精神的な)”溜め”が総合的に失われ、奪われている状態である。金銭的な”溜め”を持たない人は、同じ失業というトラブルに見舞われた場合でも、深刻度が全然違ってくる。

公共のセーフティーネットが十分に機能しているとはいえない状況で、金銭的にも人間関係の観点からも家族の支えが最後の砦となっているという筆者の見解にはなるほどと思いました。というのも伝統的には家族の支えの少ない母子家庭などで生活保護世帯の多くを占めていたという事実を裏付けているからです。

貧困問題に対する政府の対応

海外の民間団体がたった700人に電話で主観的な回答を聞いただけの調査が、「日本の絶対的貧困が大した問題ではない」と判断する唯一の根拠になっていた。

貧困の規模・程度・実態を明らかにすることを拒み続けた末に出してきた資料(一般世帯の消費実態と生活保護世帯の生活保護基準を比較する詳細な分析)が、貧困問題の公認のための資料になるどころか、最低生活費の切下げ、国民生活の「底下げ」のための材料に使われた。

貧困問題の対策、提言

結局、貧困状態まで追い込まれた人たちの”溜め”を増やすための組織的、社会的、政治的ゆとり(”溜め”)が日本社会全体から失われているのではないか。(略)貧困状態にある人たちの”溜め”を増やすには、生活保護制度や債務整理などの諸サービスの活用を支援する活動、あるいはサービスそれ自体を作る活動とともに、本人が「自分自身からの排除」から回復できる居場所作りが並行して行われる必要がある。

立派でもなく、かわいくもない人たちは「保護に値しない」のなら、それはもう人権ではない。生を値踏みすべきではない。貧困が「あってはならない」のは、それが社会自身の弱体化の証だからに他ならない。

手近に悪者を仕立て上げて、末端で割り食った者同士が対立し、結果的にはどちらの利益にもならない「底辺への競争」を行う。

これは貧困問題に限った話ではなく、あらゆることに当てはまることだと思います。末端同士、もしくは立場の相違が小さな者同士で足を引っ張り合うのは本当に無益だと思います。もっと大局的に見て建設的に考えることが大事だと思います。

*1:経常利益等に閉める人件費の割合