閉塞経済

最近の不景気がひどいですから、いつもよりも多くの経済関連の本を買って読んでます。
経済の動きに興味をもっている人は自分だけでなく、多いみたいですね。例えば、こちらとか。


さて本書は1980年代からの経済の流れがわかりやすく説明されていて勉強になりました。それからこの本は昨年の7月に出版されたのですが、不況がおこりうることを予言していて、当時エコノミストが礼賛していた金融資本主義の危険性を説いていたのは評価できると思います。金融資本主義に関する下りはこちらの日記の内容と重複ので今回は割愛します。

1980年代以降の経済学 〜バブル経済

日本や中国が貿易黒字になれば、そのお金でアメリカの国債を買えばいい。そうすればアメリカは財政赤字貿易赤字を同時に埋められるので、永遠に引き締めないで済むわけです。(略)
基軸通貨をもっている国が、絶えず自国通貨(ドル)を垂れ流し続けて、システムをもたせながら、それを金融国際化でグルグル回していく。そしてアメリカは金融で稼ぎ、過剰消費を続けて世界経済を引っ張っていく。こうしたメカニズムそのものが、まず世界的なバブルを作りだす大きな背景であることを押さえておかなければなりません。

まず、石油ショック以後の投機機会不足のところに、「変動相場制への移行」という要因が加わって、マネーが際限なく溢れ出してくる、という状態になります。(略)金がアンカー(重し)になって、金の価値でドルが固定されていました。そういう安定的な状態が、変動相場制への移行によって崩れてしまったわけです。(略)
そしてバブルが崩壊するたびに、国際的に協調して金融緩和をする。するとまたお金が余って次のバブルを探す、そういう悪循環から抜け出られなくなっていく。この政策の変化も、バブル病の要因となります。

お互いの信用や信頼によって銀行が成り立っているということが、90年代末以降の銀行危機によって確認されたわけです。そして、「銀行は安易につぶしてはいけない」となってくるのが、ようやく2002年になってからです。マクロ経済学で言う財政赤字を拡大する政策、金融を緩和する政策を全部やり、そしてテキストにない公的資金の投入も小出しにやったけれども、結局、負債デフレーションがどんどん広がってしまった、というのが日本の教訓です。

エコノミストの水野和夫さんも先進国の経済成長が鈍化した1980年代から経済の仕組みが変わった、ようなことを指摘されていましたが、そう考えたら自分が生まれてからの好景気というのはバブルだったのかと思うと悲しくなります。

三位一体の改革の結果と社会保障の崩壊について

健康保険財政から医療機関に支払われる診療報酬が、「骨太の方針2002」以降ずっと引き下げられ続け、「医療崩壊」と言われる事態をもたらしています。

三位一体改革」とは、本来、①税源を国から地方に移譲し、②その分だけ国庫支出金を減らし、③所得税や消費税の移譲分に合わせて地方交付税を縮小するというものでしたが、結局、交付税削減が先行しました。地方交付税はピーク時、2000年度には約21.7兆円であったのが、2007年度には約15.2兆円まで下がってしまいました。

基礎年金全額税方式にして年金一元化をしようとすると、これを全部消費税で賄おうとすれば、消費税の税率は非常に高くなってしまいます。しかも企業の拠出金負担が軽くなるだけでなく、これまで国民が納めてきた保険料は意味がなくなってしまうのです。
これに対して、所得に応じて一定の割合で保険税を納めて、それをベースとして年金給付を受け取っていくという制度(「所得比例税に基づく年金一元化」)にすれば、低所得の人に対しても志原他保険料に足りない分だけに税を投入すれば済むわけで、はるかに少ない増税で済むわけです。(略)

正社員だろうが、非正社員だろうが、どんな職業に就いていようが、同じ条件で等しく同じ社会保障制度に入っていくというのが当たり前の原則です。
このように雇用や社会保障のルールを共有することによって、はじめて職業を自由に移動することもでき、将来の不安をなくしていくことにもつながっていきます。

経済政策の決定について

インセンティブの名のもとに、国の財政赤字削減の目標だけが優先されて数値目標が一人歩きして地域を振り回していることも問題です。

実は「大きな政府」か「小さな政府」かという政府規模や租税負担率が成長率を決めるというのは、データを見る限りドグマに過ぎないことがわかります。(略)実は経済成長というのはとてもたくさんの要因の重なり合いで生まれ、しかもそれら要因は時代とともに変化します。

いまや皮肉にも、グローバリズムの果てに、資源エネルギーや通貨・金融の分野において国家原理が衝突する時代に行き着いてしまい、さらにデファクト・スタンダードをめぐって国家間で激しくせめぎ合っている状態です。国家戦略をもっている国でない限り、あるいは企業がしっかりした国際戦略をもっていない限り、競争力はどんどん落ちていかざるをえなくなっています。構造改革は、市場という、「神の手」に任せれば全てうまくいくということで、リーダーたちから戦略的思考を奪い、人々の思考停止に陥らせてしまいました。その結果、経済成長力をどんどん落としてしまったのです。

結びより

考えてみれば、成熟した社会は、ほとんど「無駄」で「非効率」なもので埋まっています。(略)しかし、そこには競争が複数存在していて、単一の尺度では評価できないということが重要になります。(略)
それは多元的な価値が存在し、競い合う民主主義的な社会をいかに実現するかという問題と深くかかわっています。しかし、民主主義社会は政治的には闘争的民主主義となりますので、予定調和的な世界ではありません。それでありながら、多様な意見に寛容でなければならないので、それを実現することはそう簡単ではありません。

経済では効率がものすごく追求されていますが、たしかに無駄なのは少ないのにこしたことはないですが、ぱっと見無駄だと思えるものを何でもカットするのもいかがなものかと思うときもあります。昔なんて、今よりも接待とか福利厚生など今で言うところ無駄使いしていても利益を出していたわけですからね。