日本の難点

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

社会学者の宮台さんが初めて書いた新書です。あとがきで書かれてある通り『日本が抱えるあらゆる問題を包括的に関連されて論じられている』本でおもしろかったです。しかもかなり噛み砕かれて書かれていたので読みやすかったです。
個人的に面白かったトピックスをメモとして書いておきます。ちなみに引用していない中でも面白かった章は他にもありました。

マスメディアの凋落と今後の行方について

それ以前に、マスメディアが果たしてきた機能自体が要求されなくなったという事情が大きいのではないでしょうか。お茶の間や井戸端に相当する「場」がなくなれば、お茶の間や井戸端のコミュニケーションを支える共通前提を供給するメディアも不要になる道理です。

これからの(マス)メディアが広告収入でサバイブしようとすれば、ダウンサイズ化した上で手堅い優良コンテンツを提供することで、高収入層を狙うことになるでしょう。他方、収入の低い層向けのコンテンツは、ネットで無料提供される類のものに限定さえていくことでしょう。

小中学校ではテレビ番組の話題が多くてウンザリした記憶がありますが、大学に入って社会人になってからはテレビの話題を少なくなったと思っています。ニュースはインターネットのニュースでも手に入れられるので、話題についていけないこともなく困りませんからね。
インターネットのニュースでも切り口がユニークだったり、マスメディアとは異なる視点で取材されたニュースなら有料でも見たいと思います。ただたくさんの社会人が読んでいるからという理由でつまらないコラムや社説しか載っていないような新聞はわざわざ読みたくないですね。

いじめについて

「いじめ」とは、人の「自由」な日常的活動のベースになっている尊厳(他者の承認を契機とする自己価値)を、回復不能なまでに傷つけることで、以前と同じ生活を送れないようにしてしまうことです。「尊厳」を破壊することで「自由」を奪う営みこそが、「いじめ」の正確な定義です。(略)
「いじめはしちゃいけないに決まっているだろ」と言う人がどれだけ「感染」を引き起こせるかです。スゴイ奴に接触し、「スゴイ奴はいじめんかしない」と「感染」できるような機会を、どれだけ体験できるか。それだけが本質で、理屈は全て後からついてくるものです。

クレーマーとモンスターペアレンツについて

クレーマーやモンスターペアレンツの言うことを真に受けて聞くメカニズムがあるから、彼らが生き残ってしまうのです。

自分にとって大切な者たちが分かってくれていれば、それで十分じゃありませんか。それがあれば、「誰某がピーチクパーチク言っているけれど、それがどうした」とやり過ごせるはずです。その意味で、僕は、クレーマー問題の背後に、日本人の多くが抱えている「尊厳」値の低さを見いだします。

「そんな要求はおかしい」という学校側の真っ当な反論を他の親たちが支援してくれるという可能性を、学校側が親側に期待できなくなっていることです。

柳田國男が着目した日本人の「近接性」

先祖崇拝に勤しむにしては血筋に全くこだわらず、家筋にだけコミットするという特質が典型です。こうした在り方は労働集約的な0稲の生産に適合した社会構成の一つです。
血筋ではなく家筋のこだわりが、墓守り概念に象徴されるように土地へのコミットメントと結合するところに、日本独特の風景感や国土観が生まれるーそれが柳田の考えです。つまり、便利で儲かるから皆で別の場所に引っ越そうというふうになり切れず、先祖の土地を誰が守るのかという発想をするわけです。

柳田さんのかなり鋭いなと思いました。