夜と霧 新版

夜と霧 新版

夜と霧 新版


ユダヤ人の精神分析学者が自身のナチス強制収容所での体験をつづったものです。
本書はある全国紙が2000年末におこなった「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」という企画で翻訳ドキュメント部門に第3位に挙げられるなど、有名な本らしいです。わたしはあるメルマガで知って、興味を持って購入しました。


収容所生活の過酷さは書物等で知っているとはいえ、やはり読むのは辛かったです。下記に引用したように戦争の被害者になるのは普通の一般庶民で、その人たちの声が書物として残され、それを読み継ぐことは非常に有意義だと思います。

ここでは、偉大な英雄や殉教者の苦悩や死は語られない。語られるのは、おびただしい大衆の「小さな」犠牲や「小さな」死だ。さらには、年季の入ったカポーをはじめとするさまざまな「エリート」被収容者が耐え忍ばなければならなかったことや、彼らにしか語れないこともふれられない。ここで語られるのは、「知られざる」収容者の受難だ。

この際、問題なのは数だけ、移送リストをみたす被収容者の数だけなのだ。一人ひとりはまさにただの数字であって、事実、リストには被収容者番号だけしか記入されなかった。


本書がすばらしいのはただの記録に過ぎないことです。収容所生活の後半でつづられている「生きる」ことに関する考察は非常に感銘を受けました。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に経っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく応える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

なんか自分の悩みや苦しみがちっぽけなものだと思いました。どんなに絶望的な状況に陥っても生きることをあきらめなかった人がいたことを知ると、理不尽に思ったりつまらないと思うことがあっても、とにかく「生きる」ことに価値があると思えました。生きる意味を見失うようなときは本書を読みたいなと思います。
本当にすばらしい本ですので、多くの人に読んでほしいと思いました。小さい書店ではお目にかかれないと思いますが、アマゾンや大型書店にはあるはずです。