ETV特集

湯浅さんと経済評論家の内橋克人さんの生存権にまつわる対談番組。久々にテレビを見て勉強になったなと思いました。
第25条の生存権GHQの草案にはなく、社会学者で国会議員の森戸辰男がワイマール憲法をモデルにして提案されたものだということを初めて知りました。日本人が提案したことは誇らしく思えます。

それもスムーズに決められたものではなく、帝国憲法改正案委員会では国政で保証すればよいという委員長ともめた中で、賛成を勝ち取ったことは大きいと思います。憲法ではなく行政が判断すれば良いという考え方は今の生活保護法の運用を考えれば大きいと思います。というのも最低減額はなんと厚生大臣の裁量によって決められているからです。国の財政が苦しくなるたびに(物価が上昇していたとしても)生活保護の支出が削られていますからね。

それでも当時憲法学者の間では以下のように『生存権は裁判所に請求できないとする』説が有力だったのはびっくりしました。

国家が生存権的基本権の実現のために積極的施策をする責務を負う。ただこの責務違反を問責する直接の法的手段は存在しない


結核患者の朝日さんが生活保護法に対する訴訟において、原告が死亡した後の最高裁での『原告の死亡により裁判は終了した』という判決(原告敗訴)にはあきれました。

何が健康で文化的な最低限度の生活であるのかを認定判断は厚生大臣の裁量に任されており直ちに憲法の問題を生ずることはない』

これはその時に出た以下の判決の一部ですが、裁判所は生存権について具体的な実現方法について放棄したようで、本当に飽きれるしかありません。それ以来生活保護の裁判は以上の判例によりほぼ全て原告敗訴になっているようです。そして生活保護を受けられずに餓死する人まで出てしまう状況になったのは行政だけでなく、その状況を看過してきた司法の責任も大きいのではないかと思います。