ユーゴスラヴィア現代史 新版

昨年購入した本んですが、最近読みました。昨年「サラエヴォ・ノート」という本を読み、いわゆる旧ユーゴスラヴィアについて興味を持っていたこともあり、購入しました。
現代史だけでなく、その背景となる近代の歴史についても説明されていて、あの地域一帯の歴史背景を知ることができました。なかなか読み応えがありました。


近代史からチトー時代までの歴史でポイントだと感じたことをざっと列挙するとこんな感じでしょうか。


20世紀末のクロアチアボスニア等で起きた内戦において、特に欧米諸国からはセルビアのミロシェヴィチが諸悪の根源と見られたり、民族・宗教紛争とまとめられがちですが、筆者の見解は違うように読めました。

クロアチア内戦が本格化した当初、クロアチア共和国からのセルビア人難民を対象とした興味深い意識調査がある。民族衝突がエスカレートした理由に関しては、マスメディアのプロパガンダ、政治指導者の政治戦略、当局による恐怖心の扇動と身近な人の逮捕などがあがっている。この調査はセルビア人難民を対象としたものだが、内戦の本質をついているように思われる。

92年8月、イギリスのITNテレビでボスニアにあるセルビア人勢力の「強制収容所」に入れられたムスリム人の映像を放映し、世界的に大きな衝撃を与えた。クロアチア人勢力もムスリム人勢力も大同小異で、同様の「強制収容所」を作りセルビア人を収容していたという証言があったにもかかわらず、こちらは国際的なニュースにならず、日本を含めた世界各地に伝えられることはなかった。(中略)頑ななミロシェヴィチの「悪者」イメージはすでにできあがっていたので、国際世論には残虐なセルビア人というイメージがすんなりと受け入れられてしまった。(ミロシェヴィチの「悪者」イメージが形作られる種たる要因として、クロアチアとヴァチカンというカトリック勢力の戦略が重要であり、それが功を奏したことだけを指摘しておく)

ユーゴの解体に伴う一連の紛争は、一般的に民族紛争あるいは宗教紛争と言われることが多い。しかし、それは副次的な現象にすぎず、紛争の原因を複雑な民族構成や宗教の違いのみに帰すことはできない。紛争の主要因は、ユーゴの自主管理社会主義が崩壊する混沌とした状況下で、権力や経済基盤を保持あるいは獲得しようとする政治エリートが民族や宗教の違いを際立たせ、そうした違いによって生じた流血の過去、つまり第二次世界大戦期の戦慄の記憶を煽りたてことにあった。他方、失業状態に置かれ、将来に対する展望を持てない青年層が多数存在した。こうした青年たちが、闇経済の中で暗躍するマフィアの率いる準軍事組織に動員され、極端なナショナリズムに踊らされて、おぞましい暴力行為に駆り立てられたことも見落としてはならないだろう。

サラエヴォ・ノート」を読んだ時も感じたことですが、長い間民族、言葉、宗教が違っても共存していた人同士が、単純な理由だけで歪み合うと思えなくて、筆者の考えに同意したいです。当事者同士だけではなく、アメリカなど海外の大国の介入という要素も見逃せいないように個人的に見ていて、そういう大国に翻弄されながらも人々は必死で生きているのではと見ています。

とはいえ内戦が落ち着いた現在は実際にはこんな風景があり、チトー時代にような政体に戻ることはないだろうなと見ています。

民族の分断が固定化されてしまったボスニアにとって、民族融和は喫緊の課題であった。歴史教科書を例に取ってみると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナには共通の歴史教科書が存在しない。ボスニアの2つの政体である、ボシュニャク及びクロアチア人からなるボスニア連邦とセルビア人共和国では、それぞれ独自の歴史の教科書が使われている。


あとがきで筆者のこんな声に載っています。

ボスニアモンテネグロの最近の動き、あるいはコソヴォの動きなどを、楽観的に身すぎているのではないかと思われる人もいると思います。しかし、そういう新しい動きに微かな希望を見出していきたい、というのも私の考えです。

今後の歴史の動きというは当事者だけでドライブできないことが多いと思いますが、私も前向きに動いていくことに期待しています。