アフガニスタンの診療所から

2019年に亡くなったアフガニスタンで医療活動に従事された医師による本です。彼がアフガニスタンで医療活動を始めた背景や、立ち上げなどについて書かれています。立ち上げに際し、彼が大事にしていたのはこちらの考え方だと理解しました。

ほんとうに土地の事情をよみとり、民意の要求水準に見合う活動をするためには、現地主力部隊の育成を中心にすべきは明らかである。

この考え方は医療現場、アフガニスタンという状況によらず一般的に当てはまることだと思います。ただ実際に実現しようと思うと、辛抱強さが必要なので相当大変だと思います。

実際の医療現場は物資が不足しており、症状が悪い患者も多く、過酷だったようです。そのような現場で仕事をやりぬいた著者をはじめとしたメンバーはとても立派だと思いました。

その当時のアフガニスタンペシャワールの状況はあまりにも絶望的であり、「人間」にかんするいっさいの楽天的な確信と断定とを、ほとんど信じがたいものにしていたからでもある。まるで闇の中からはげしく突き上げてくるような、怒りとも悲しみともつかぬ得体のしれない感情を私はもてあましていた。


ところどころ国連や米ソによる統治のやり方に対して異を唱えているのが個人的に一番印象に残りました。アメリカや国際機関の動きが正しいと思っている人にとっては違和感を感じると思います。

アフガン人の打ち首処刑や復讐の残虐性・後進性に憤慨する者が、「人権」をかざしてその幾万倍もの殺戮を行わせ、文化さえ根こそぎ破壊しようとした。(略)
そして「謝罪」どころか、ほこらしげに「人道的援助」が破壊者と同一の口から語られるとすれば、これを一つの文明の虚偽とよばずしてなんであろう。

その点は著者自身が自覚しており、以下のように分析しています。私自身欧米の統治下でない国々に行ったこともありませんし、その人たちと直接交流したことはありませんが、少なくともアジアには我々とは異なった視点で世界を見ている人がいることを知ることは必要だと思います。

私は一介の臨床医で、もの書きでも学者でもありません。ただ、生身の人間とのふれあいを日常とする医師という立場上、新聞などでは伝わらぬ底辺の人びとの実情の一端を紹介することができるだけです。時に「極論」ととられたりすることもありますが、これは私自身が現地に長くいすぎて、西欧化した日本の人びとと距離を生じているせいかもしれません。私の極論というよりも、現地庶民の一般的な見方・感じ方だと思ってもらったほうがよいかもしれません。
とくに国連の評価などは、日本と現地とでは180度異なっています。ただ私が意図したのは、国連やをこきおろしたり、ジャーナリズムや流行の尻馬に乗って国際貢献を議論することではありません。この激動する時代のまっただ中で、日本列島のミニ世界だけで通用する安易な常識を転覆し、自分たちだけ納得する議論や考えに水を差し、広くアジア世界を視野にいれたものの見方を提供することです。

本書は1993年に刊行され、2005年に文庫化されたました。文庫本のあとがきで著者は以下のように書いています。

本書に記された基本的状況は少しも変化していない。(略)二〇〇一年の米国の同時多発テロ事件(9.11)は、思わぬ形でアフガニスタンの記憶を再び呼び覚ました。9.11直後のアフガン空爆、続く「アフガン民主化」と称する「復興」の大義名分と諸政策が、かつてソ連がアフガン侵攻時に掲げたものと、ほとんど変わりなかったのは皮肉である。

9.11後のアメリカ軍による空爆とかつてのソ連による侵攻が大差ないと分析しています。今となってはアフガンへの攻撃は正しくなかったと考える人も多いかと思いますが、当時はそんなことを考える人は少なかったと思いますので、そのような分析が文庫本刊行当時はあまり受け入れなかったのかなとも思いました。
非常に面白かったですので、著者の他の本も読んでみたいと思います。