室町記

室町記 (講談社文芸文庫)

室町記 (講談社文芸文庫)


室町時代についていろいろ勉強できました。床の間や茶といった庶民の文化だけでなく、地方と中央の考え方など室町時代から根付き、今も息づいていることが意外に多いなと思いました。

  • 地方と中央

日本の地方文化がきわめて中央志向的なかたちで生まれたことを忘れてはならない。日本の地方都市はあくまでも中央都市・京都が確立してから生まれたのであって、文化の育成もつねに京都との交流のなかで進められていった。

地方豪族にとって、第一の目標は「家」の保全と拡大であり、それを支えたものが彼らの実力であったことはいうまでもない。だが、その反面、彼らにとっても「正統性」の旗印がいかに重要であり、精神的なシンボルなしに、力ずくの戦いをすることがいかに難しかったかは明らかである。彼らにとって、中央は必ずしも資金や兵力の供給源ではなく、むしろ旗印として仰ぐべきシンボルの提供者であった。(中略)日本社会の「情報」的な均質性は、どうやらこの国の伝統のなかでも、もっとも古いもののひとつであるらしい。

金は金融業者に求め、武力は一種の私兵に頼り、都会をあたかも独立国のように支配した点で、義満の政権は、すこぶるイタリア・ルネサンスの領主に似ていたといえる。法王と天皇の違いはあっても、政治上の精神的な権威を極度まで活用し、他面、国内の諸勢力をいわば「外交」の相手として操った技術も、両者に共通のものであった。
彼はもてる力を周辺へ拡げるかわりに、それを徹底して国家の中心を重くするために集中した。敵対する力は一掃できないにしても、しかし、ほかのいかなる力によっても倒されない中心を確立した。国家ははなはだ脆弱な骨格をもつことになったが、それでもふたつの中心を持って分裂することだけは、防がれたのである。

  • 織田信長の統治法

実力者が新しく勢力の拡張を始めるとしても、それはけっして「無法」な暴力ではなく、必ずひとつの権威をもうひとつの権威で置換えるというかたちで行われた。併存するいくつかの制度の枠組のあいだで、重点をひとつから他へ移すというかたちで「革命」が行われるのである。信長が足利を倒したときにも、彼は幕府の制度にまっこうから挑戦はせず、右大臣という朝廷官職を利用して自分の権威を高めていった。

織田家の天下構想は徹底した「京都志向型」であり、しかも幕府と朝廷の両方を含めた京都が視野のなかにはいっていた。1542年、信秀は朝廷の求めに応じて、嵐で毀れた御所の築地の修理料四千貫を献納したが、これは当時の公卿社会のなかでも大きな驚きの種であったらしい。

一方で、彼は自分を文化人として見せるように演出し、民心を宣撫するように心を配った。他方、義昭が提供した官職や領地はすべて断り、その代わりに「桐」と「二引両」の紋章という、権威の象徴だけを受けとることにした。

だいたい、紛争の現象は荒々しかったが、その解決については、誰もが潔癖な完全主義者でなかったということが面白い。幕府も鎮圧を試みたが、一揆の勢力を根絶やしにするような徹底的な弾圧は行わなかった。(中略)一揆の側も求めたのは過去の借金の棒引きであって、酒屋や土倉の存在を徹底的に粉砕することではなかった。まして金融制度そのものの否定を考えるものはなく、紛争が終われば、金貸しはまたもと通りに繁盛を見せることになった。

土一揆とは要するに、「豊かな社会」の「近代化の歪み」を正す紛争だった、といえるかもしれない。

  • 室町時代に芽生えた文化

いわば「茶」は唐物趣味と対決することによって単純な華美を克服し、ただの享楽から一種の「求道」の方法へと高まっていった。逆に「花」は唐物趣味と競争することによって華麗さを増し、宗教的な行事から人間の目を楽しませる芸能に変わった来た。一方は神聖化し、他方は世俗化する道をたどったわけだが、その結果できあがったものは、きわめて日本的な文化であったといえる。

料理の面でも室町記は飛躍的な発展を見せ、ほぼ今日の日本食の基本形を決定したといえる。(例:砂糖、醤油、豆腐、納豆、饅頭)

何より重要なのは先にも述べた灯火の普及ということであろう。南北朝から次第に増えて来た油の生産は、就寝前の夜の時間を延ばしてひとびとに団欒の機会を提供した。
日本人が一日二食の生活から、今日の三食に移ったことにも、一日の長さが長くなったことが関係しているように思われるのである。

日本のばあいは、芸術というものはあくまで自分と他人との人間的関係ー一言でいえば自他関係のなかではじめて完結するものである。

  • 秘すれば花なり、秘せざるは花なるべからず」という警句の意味

役者にむかってよく稽古をしろといっているにすぎないのです。ひとつの工夫をおこなったら、それを徹底的に稽古して、もう自分でも新工夫だどと意識しなくなるほど完全に消化し、自分の意図や作為を忘れてしまうまで稽古すべきだというわけです。