音楽は自由にする

今年お亡くなりになった坂本龍一さんの自伝です。坂本さんの人生を振り返るという雑誌の連載企画を1冊の本にまとめたものです。時期としては、2009年の「アウト・オブ・ノイズ」がリリースされるまでで、彼の人生の転機になったと思われるガンが診断される前の期間になります。「アウト・オブ・ノイズ」に関してはいくつかの楽曲をデジタルダウンロードしており、何か縁を感じました。
インタビューアーさんが坂本さんの声をよく拾えていて、坂本さんが語りかけてくれるように感じました。

彼の熱心なファンというわけでもなかったため、先日見た映画で触れられなかった幼少期の頃やYMO結成までのエピソードについては初めて知りました。
ピアノだけでなく、作曲の教室に通い、早い時期からバッハやドビュッシーに触れたことが彼の音楽的な素養のベースになったことや、中学の頃から様々な本を読んだり、高校からゴダールをはじめとした映画を見たり、大学時代に武満徹さんとお会いしたり、三善晃さんの授業を受けたことが彼を形作ったんだなと納得したものです。

そして「ラスト・エンペラー」あたりのエピソードについては映画でも深掘りされていたこともあり、知っているエピソードが多かったです。
渡米してまもなく勃発した湾岸戦争に直面してて、後々政治的な意見を発するきっかけになったのかなと感じたり(直接のトリガーは9.11だったと思いますが)もしました。
いずれにせよ彼の様々な人との出会いや体験を聞くことができ、なかなか興味深かったです。


ここからは本文の引用です。
冒頭で彼の表現についての考えが述べられていますが、その通りだなと思いました。

表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。

最後に彼が取り組んでいる音楽の方向性が述べられていますが、晩年はこの姿勢がベースになっているように見受けられました。

今ぼくがいるのは、世界で最も人口的に作り上げられたと言ってもいいニューヨークのマンハッタン、まさに金融危機震源地です。でも、そこでぼくが作っている音楽は、人間の世界や現在のできごとから少し離れた、遠いところを向いたものになっているかも知れません。できるだけ手を加えず、操作したり組み立てたりせずに、ありのままの音をそっと並べて、じっくりと眺めてみる。そんなふうにして、ぼくの新しい音楽はできあがりつつあります。

最後のあとがきで、こんなふうに綴じられているのですが、教授の人となりを感じました。謙遜しながらも最後感謝で閉じてくれて、一読者として素直に嬉しかったです。

最後に、こんな人間の個人史を読まされる読者に対して、申し訳ないという気持ちとともに、「ありがとう」と言いたい。