職業としての小説家

村上春樹さんが彼自身の経歴を振り返りつつ、小説の書き方などに述べられた一冊です。彼のエッセイが好きなため購入しました。彼自身の経歴や小説のスタイルについては初めて知る内容が多く面白かったです(Wikipediaにも書かれている内容も多く、ファンなら既知の内容も多く含まれていたかもしれませんが)。私自身はもう小説家になるつもりはないため、登場人物など小説の技術的な内容はさらっと読みませんが、彼自身の生き方やポリシーに関しては結構共感できる要素が多く、その点興味深く読むことができました。

引用しませんが、彼がUSに行った際も自分の足でエージェントや通訳さんを見つけて、直接交渉する下りなどは当時では珍しかったと思いますが、そういったことの積み重ねが海外での彼の地位を築いた大きな要因だなと感じました。これは小説家に限らず、どの職業にも当てはまることだと思います。



以下は引用になります。
村上さんのこのような考え方は個人的に好きです(快く思わない同業者が多いような気がしますが)。

極端な言い方をするなら、「小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である」と定義できるかもしれません

賞というのは多かれ少なかれ励ましというか、ご祝儀のようなものだし、

以下のような考え方をなさることから、やはり賢い方だなと感じました。

推論と断定とを使い分けるのは、文章を書くことの基本じゃないかと思うんだけど、

彼の以下のような考え方や生き方はとても共感出来ました。私もこのような生き方ができたらなと思います。

自分があくまで僕という「個人の資格」でものを書き、人生を生きてきたことについて、僕なりにささやかな誇りを持っているからです。大したものじゃないかもしれないけど、それは僕にとっては少なからず大事なことなのです。

批評を受けたとしても、「まあ、それも仕方ないや」と思うことができます。なぜなら僕には「やるべきことをやった」という実感があるからです。仕込みにも養生にも時間をかけたし、とんかち仕事にも時間をかけた。だからいくら批判されても、それでへこんだり、自信を失ったりすることはまずありません。(略)でも「やるべきことをきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。

意志をできるだけ強固なものにしておくこと。そして同時にまた、その意志の本拠地である身体もできるだけ健康に、できるだけ頑丈に、できるだけ支障のない状態に整備し、保っておくこと ー それはとりもなおさず、あなたの生き方そのもののクオリティーを総合的に、バランス良く上に押し上げていくことにも繋がっていきます。そのような地道な努力を惜しまなければ、そこから創出される作品のクオリティーもまた自然に高められていくはずだ、というのが僕の基本的な考え方です。

最後に彼の創作行為の考え方を引用します。自分の生き方に参考になる・ならないは別にして、このような考え方もあることに感心しました。

あらゆる創作行為には多かれ少なかれ、自らを補正しようという意図が含まれているからです。つまり自己を相対化することによって、つまり自分の魂を今あるものとは違ったフォームにあてはめていくことによって、生きる過程で避けがたく生じる様々な矛盾なり、ズレなり、歪みなりを解消していく ー あるいは昇華していく ー ということです。そしてうまくいけば、その作用を読者と共有するということです。